
丸山 「しゃべらナイト」でいうと、7~8年前に自分が国際化というか、そっちの方に向いていたんですよね。それで素直に動いたならそうなったという側面はありますが・・・。
中野 自分の見たいものとか、知りたいこととか、行ってみたい場所とか、言ってると勝手にそうなる。女性はこれを見たいんじゃなかろうかとか、子供はどうだろうとかひねくり始めると、どんどんドツボにはまってく。自分を信用してればいい気がします。思えばクラスに40人くらいがいるなかで、自分には10人以上は友達がいたんだし。5人ぐらいはいつも僕が思ってることを面白がってくれた。支持率は確実に10%以上あったわけで。そこを拠り所にしてもいいんじゃないのって思う。
丸山 何が普通かはわかりませんけれど、自分に埋め込まれちゃっているものがあって、自然に自分に入っていくことは入ってきて、出てゆくことは出てゆくと考えるしかないんじゃないかと素直に思っています。適度には意識して自分の中に情報も入れますけれど、過剰に何かを考えたりマーケティングをし始めると歪むような気がするんですよね。
中野 それに自分を合わせに行ってる時点で、イキきってしまうことができてない。それで結果が出ないとますます負のスパイラルにいってしまう。それだったら一般のひとみんなが普通にやっているような生活を感じた方がいいんじゃないかと思いますよね。
丸山 ごくごく普通に世間一般の方々が持ってらっしゃる物事の見方のほうがこわいと思うんです。ただその方法を言葉にしていないだけで、実はいろんな学者やアーティストが“独創性”とかいっていることよりも、よっぽどユニークな見方ができている。その人々を信頼して、そこをちゃんと番組に出したほうがいいんですよ。一般の方にはわからないだろうとか、こう言えばみんなわかってもらえるだろうとか、一方的に考えるのは失礼だし作り手の傲慢だと思うんです。想像力をもって解決できる人はいくらでもいるわけですから。それよりも、本物をきちんと出すことを意識した方がいいんじゃないかな、と。あまり丁寧にわかりやすくということにこだわるのは、かえって失礼ではないかと思うんです。想像の余地を奪うこともあるだろうし・・・。漠然とした思いなんですが、それがしっかりできれば小細工をしなくてもいいという……そういう原点みたいなものがあるような気がしていまして・・・。
中野 しかし平均的なテレビマンからすると、相当なオプティミスト……。
丸山 ハハハ。
中野 イヤイヤ、僕もそうなんですが、“永遠の素人”を標榜しているんですよね。
―テレビコ NHKは視聴率を問われるんですか?
丸山 民放の方ほどシビアではないかもしれませんが、一つの指標としては問われます。視聴者のみなさんの反応など、様々な軸で考えたいと思うことはたくさんあるのですが・・・。もちろん、数値にはならない声も届きます。ただいずれにせよ、どうあることが、本当に視聴者の方々に答えているのかはいつも考えなくてはいけない問題だと思っています。
中野 ん~、もっと考えるスパンを長くした方がいいんですかね? 10年間続けることを前提に番組を作ってみるとか……。民放ですから広告がその収入源なんですけど、広告ってほとんどがいま発売している商品の売り上げをアップさせるために打たれているでしょ。でも、テレビもそれに従って、「来月までにこの商品をこれだけ売る」といった短期的なコマーシャリズムのタイムスパンに合わせたような番組だけを作り続けていくと、メディアとしての価値を下げていく一方になると思うんですよ。
丸山 でも民放でも、傍目で見ていると、最近は漫然と視聴率15%を取るとかではなく、数パーセントであっても、きちんと意図した視聴者層に届くような番組を一社提供でスポンサードしたい企業が増えているように見えなくもないのですけれど。
中野 そういう傾向は確かに出てきたと思います。ざっくりとたくさんの視聴率をとるためにつくられた番組よりも、企業として<公共の福祉に資する>思想なり、価値なりを、視聴者に届けることを目指した番組をサポートしてくれる広告主さんも増えてきたように思います。 ちょっと逆説的な言い回しになりますが、僕は本当は、何の役にも立たないテレビ番組っていいと思ってるんですよ。何かのツールにならないテレビ番組。ツールとして勝負したら絶対にインターネットに負けてしまいます。ツールとしてはインターネットの方が使い勝手もいいし、いつでも何でもすぐに教えてくれるし。そんなツール戦争にテレビが巻き込まれたら勝ち目がないです。
だから『タモリ倶楽部』とかが大好きなんです(笑)。あんなにどうでもよい番組はなくて、誰から頼まれたわけでもないのことを、勝手にやっている。<経堂の住宅街の狭い道路の電信柱についている車のこすり傷の原因を探る>とか。くだらないことやってるなぁと思いながら、面白いなーと思っている。ある種、あれは高邁なテレビのあり方です(笑)。
『ニッポンの教養』も生活のツールにはならないですよね。そもそも教養って今の世の中ではどんどんツールではなくなっている。お金もうけにつながらないことは意味がない、という世の中のですもの。東大に入るような人が研究に時間を費やすって、そのひとのIQというか偏差値の“換金率”でいえば、かなり割が悪いですよ。でもその効率の悪さ、ツールにならなさが面白いと思うし、みんなにも思って欲しいですよね。
丸山 そういう意味でも、僕も確かに大学で何かやりたいというのは、むしろ、生産性ゼロのことに意味があると思っていて。この、効率化の世の中にあって、効率に背を向けてなのか、結果的にそうなっているのかわかりませんけど、そういう所にいってみるエンターテイメントを作りたい。世の中の市場原理が広がれば広がるほど、市場価値では測れないものがあって、そこに賭けてみたい気持ちはあります。
番組にご出演いただいた哲学研究者の野矢茂樹さんの、逆説的な「無駄のススメ」!?ではありませんが、ある意味、それが視聴者への信頼を伴って教養を問うことでもあるんです。“一生懸命お金稼がなくちゃ。無駄なことをしないようにしよう”という方の無意識の中に、広がる空洞感みたいなもの、「効率的」にうまくいけばいくほど、逆に蓄積される空虚感・・・。そこに少しでもヒットすることですね。お金も含めて数値化してゆくのはいいんだけれど、それが生きることの楽しさに繋がっているのがどうなのか。ちょっとでも届いて、そこから少しでも考え始めてもらえればいいなと。
『情熱大陸』でも、葉加瀬太郎さんのエンディングの曲をイメージすると、皆自分の人生に引き付けて“自分にとってのかけがえのない一日がまた今日も始まるんだ”っていう気分にさせられる・・・。そういう気分で、翌日の月曜日に“自分の人生も決して無駄ではないのだ”と、何か内省するきっかけを与えられているような感覚を得ている視聴者の方々も結構いらっしゃると思うんですね。そもそもテレビが人を内省に向かわせることは少ないですから・・・。それができるのは本当に大事なことです。それはたとえば深夜ひとりで日記をつけるような気分。これを1日のなかでどのくらい持てるかというと、なかなか持てないと思う。『情熱大陸』や『ニッポンの教養』のような番組をみたときに、そんな時間を少しでも持ってもらえれば、“テレビって受動的なものなのに、自分のことをもう一回考え始めることになったな”ってなれば一番嬉しいですね。
特集バックナンバーはこちら